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学校から苛めを根絶しよう

取手市立藤代南中学校の苛め自殺事件
2015年11月に取手市立藤代南中学校の女子生徒が苛めを苦にして自殺した事件について、茨城県に設置された調査委員会が、苛めを認めなかった取手市教育委員会を厳しく批判した。

遺族にとっては、真実を明らかにするために3年を要したことになる。

どうして事なかれ主義がはびこるのか
この報道に接して、誰もが既視感を持ったと思う。同じようなことがどうして何回も繰り返されるのか。

それは、教育委員会や学校にとって、苛めがなかったことにすることができれば好都合だからだ。

事件後、藤代南中学校では「いじめ防止基本方針」というものを策定したようだが、実際に起こった苛めを的確に認識することができないのであれば、絵に描いた餅でしかない。

学校から苛めを根絶するために必要なこと
学校から苛めを根絶するために、何が必要であろうか。

まず、苛めはいつどこででも起こり得る行為だということを肝に銘じることだ。児童や生徒は、集団の構成員の人格を尊重し適切に振る舞うという社会性を身に付けていない場合も多いこと、集団内で多数派を形成したいという欲求が強いこと、何かにつけてほかの児童や生徒と比べられる中で嫉妬を感じやすいこと、多様な個性を理解することができない場合も多いことなどのため、苛めを行う衝動に駆られやすいのだと理解する必要があると思う。

そして、児童や生徒には、予め、苛めは深刻な結果をもたらすものであり断固とした処分を行うこと、苛めと呼ばれる行為の中には犯罪も含まれること、多額の損害賠償請求に発展する可能性もあることを理解させる必要があるのではないだろうか。「苛め」という言葉のニュアンスが、教師や児童、生徒に問題を軽く感じさせる傾向があるのであれば、もっと重いニュアンスの言葉に置き換えることも検討するべきであろう。

一般社会で通用しないことが、学校内では通用するという誤った認識を児童や生徒が持つことのないよう、担任教師や管理職が一丸となって対応に努めるべきであろう。

(2019年3月24日執筆、2019年7月19日更新、2024年8月5日掲載)

「虐め」という言葉の言い換え
「虐め」という言葉の言い換えについては、「障害者虐待者の五輪不起用」で提案した。

(2021年7月22日執筆、2024年8月5日掲載)

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