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星の流れる果て

あらすじ
原題は「Not without My Daughter」。娘と一緒でなければ逃げないの意。実話に基づいて1991年に制作された。最初に視聴したのは1995年だ。

ベティ・マムーディはイラン人医師サイードと結婚し、女児マートブとともにアメリカ合衆国で幸せな生活を送っていた。しかし、サイードが一家でイランに帰省することを主張し、ベティは不承不承承知した。そして、イランに入国するとサイードはイランに永住すると言い出し、性格も一変させてベティに暴力を振るうようになった。将来を悲観したベティは、マートブとともに帰国するために、命を懸けて密出国するしかないと心に誓った。

視聴者のレヴューとハーグ条約
インターネット上のレヴューは、正に同じような境遇に遭ったというようなものと、ステレオタイプの描写だというものに大別される。

イランではイスラーム教保守派の勢力が強く男尊女卑思想から女性の人権が極限まで侵害されているという見方をすることができる一方、実は家庭内ではかかあ天下だとの意見もある。もちろん、家庭ごとに実情は異なるのであろう。家庭内で暴力が振るわれていることは深刻だが、それは日本や欧米などでも少なからず起こっている問題だ。問題がどの程度深刻なのか、客観的に判断する必要があろう。

国際結婚後、不和となったカップルの一方が子を無断で母国に連れ去ることを規制するハーグ条約の理念との関係ではどのように考えられるであろうか。この条約には、子の言語環境を含む生活環境の激変を抑制する観点からの規制があるが、イラン入国時は一時的な滞在との約束であり、1年以上というような長期の滞在になっていないことを考えると、元の居住国はアメリカ合衆国ということになり、ベティに有利な判断が下されることになるのではないだろうか。ただし、イランは未批准国だ。

ヒロインの行動
女児の名前マートブは、イラン風の名前のようだ。この一家はアメリカ合衆国を生活の基盤としようとしていたにも関わらず、夫主導で女児の命名を行ったのであろう。この時点で、既に将来の悲劇の萌芽が見える。

そして、一家がイランに帰省した1980年代は、1979年のイラン革命と在イラン米国大使館人質事件を受けて、合衆国とイランの国交が断絶した時期だ。いくら夫を信用していたとは言え、やはり無謀であったと言うべきであろうか。

イランの習俗とイラン人の民族的特徴
映像に対して違和感を抱いたのは、ベティが自宅で一族とともに食事をしている時、一族の女性がチャードルと呼ばれる黒いヴェイル(ヒジャブよりも隠す範囲が広がったもの)で全身を覆っていたことだ。また、同じアメリカ合衆国出身の女性の家庭で二人で話していた時もベティはヴェイルで髪を覆っていた。実際にはそのようなことは起こらないはずだが、しっかりと考証したのであろうか。また、イラン人の多くはもっとヨーロッパ風の顔立ちのような気がするが、気のせいであろうか。

脱出行
脱出のためには、バルティスタン経由でパキスタンに抜けるルート、南西部から船でオマーンに抜けるルート、クルディスタン経由でトルコに抜けるルートがあるという。最適だというオマーンに抜けるルートではなく、最も危険だというトルコに抜けるルートを選んだのはどうしてなのか、説明してもらいたいところだ。費用のためであろうか。また、イランの近隣国のうち、交戦中のイラクは論外としても、船でアラビア人首長国連邦に抜けるルートなどはなかったのかと疑問に思う。なお、クルディスタンの映像は趣が感じられたが、ロケイション撮影は別の国で行われたらしい。実際には雪山越えであったとのことだ。

(2015年6月7日執筆、2024年8月5日掲載)

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